徒然五十音楽帳

ら・わ

あゝ上野駅

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の頃を描いた曲。東北からの集団就職列車は上野駅18番ホームに到着。大勢の金の玉子たちが降り立つ。もう自分の力で人生を切り開いてゆくしかない。上野駅は若者が覚悟を決めた場所。そして、懐かしい故郷の父母へとつながる唯一の場所。

今ふりかえれば、私にも「あの日ここから始まった」と言える特別な場所があります。しかし当時の若い私にそれなりの覚悟があったかと言えば、まったくありませんでした。それより、親から離れ自由になった気分に浮かれていたのをおぼえています。

今になってこの曲の詞に心惹かれたのは、「くじけちゃならない人生」を身をもって感じているからでしょう。「今頃?」と言われれば返す言葉もありません。けれど、今いる場所がいつの日か、「あの日あそこで始まった」と言えたら素敵だな、と思います。(チャコ)


イエスタデイ

今でこそポップスの古典としてご丁重に扱われているビートルズだけれど、1960年代当時の大人たちからは相当に嫌われたことと思います。男のくせに長髪。やかましいサウンド。黄色い声を張り上げる若い女性ファン。わけがわからん、と。

「最近の流行はよくわからない、昔はもっと…」という台詞は、いつの時代にも各世代でくりかえし言われてきたことでしょう。自分以外の世代にフォーカスされた新しい物事を嫌悪するのは、至極ナチュラルな感覚です。

おそらく「イエスタデイ」は、そういう大人たちからも肯定的に受け入れられた貴重な曲でした。弦楽四重奏によるバックも大人受けが良かったろうし、歌詞にも世代を超えて共感できる普遍性があります。

一方で、この曲を境にビートルズと決別した人もいるのではないかと僕は想像します。もはや自分だけのものではないビートルズ、一般社会に認められてしまったビートルズ。そういう寂しさの裏返しもあって、「もうビートルズは終わったな」とかなんとか言って、ひとつの青春を終えた若者がいるような気がするのです。(チコ)


海を見ていた午後

前々回とりあげた「ああ上野駅」に比べたら、この曲を知っている方は圧倒的に多いことでしょう。今や大御所のユーミン。しかし私はデビュー当時の荒井由実さんの作品が大好きです。

そして当時とても衝撃的でした。それまでにないオシャレなサウンドやあの独特の声、歌がうまいのか下手なのかわからないけれど、心惹かれてしまう魅力。アルバムをカセットテープにダビングしたり、ラジオを録音したりしてよく聴いてました。

勉強しているフリで机に向かい、イヤホンから流れてくるのはユーミン。この「海を見ていた午後」でふとペンが止まり、目の前の本箱をボーッと眺めたり、今思えばまるで瞑想状態だったようです。

「普通の日常ってありがたいけれど息苦しい」と感じていた高校生の私にとって救いの曲でした。(チャコ)


エストレリータ

タイトルは「お星さま」といった意味のスペイン語。お星さま、愛するあの人に私の思いを伝えて、というロマンチックな歌曲です。

スペイン語では名詞の語尾に「◯◯イータ」が付くと、その言葉に“小さい”、“可愛らしい”といった愛着のニュアンスが加わります。ただの「星」ではなくて、親しみを込めて「小さなお星さま」。

こういうのを縮小辞といって、他の原語でもよく登場します。平べったいパスタの「フェットチーネ」はイタリア語で「ちっちゃなリボン」の意味。フランス語の「家=メゾン」が小さくなると「メゾネット」。

名前に縮小辞が含まれることもあります。ロナウジーニョってブラジルのサッカー選手いましたね。意味としては「小さなロナウド」です。日本で言ったらさしずめ「小次郎」といったところ。

ちなみにこの曲、メキシコの作曲家マヌエル・ポンセが1912年に作りましたが、登録をし忘れたため一銭も著作権料をもらえなかったそうです。(チコ)


おさななじみ

歌詞はお話になっていて、おさななじみの「君」と「僕」が成長していき、やがて恋に落ち、結婚、出産。生まれた赤ちゃんは男の子と女の子。この子たちが成長していき、その姿はまるで幼い日の君と僕にそっくりだね、という内容。

あらためて歌詞を読むと、グルグルとくり返されるホラー映画のエンディングのようでゾッとしてきました(怖)

小学校2年生の時、学校で「将来の夢」を発表する時間がありました。その時ある男の子が、「僕の夢は親よりも出世すること。それがダメでも親とは違うことをしたい。同じことをくり返しててもしようがないでしょ」と言ったのです。私にとってはあまりに奇抜な意見だったので、今でも忘れられません。

名前も顔もよく覚えていないけれど、彼も私にとっては「おさななじみ」。今頃どこで何をしているのでしょうか。親御さんとは違う人生を歩んでいるのでしょうか。(チャコ)


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