文・西川恭(Chico)
なぜかおぼえている
自分が通った学校の校歌を、今もおぼえている人はどのくらいいるだろう。
卒業後、何十年という時を経ても口ずさめる人は、よほどの愛校心の持ち主か、当時ピアノ伴奏を担当していたか。あるいは、同窓会などで歌ったり耳にする機会があったのか。明確な理由もなしに、記憶に留めておけるとは考えにくい。
僕はといえば、小・中・高校時代を懐かしく思う気持ちはあるものの、「愛校心」などと胸を張って言えるものは持ち合わせていない。伴奏の経験もないし、同窓会の知らせもとうの昔に絶え果てた。けれども、小学校の校歌だけは今でも鮮明におぼえている。なぜなのか。自分なりに考えてみると、理由は2つあった。

ミステリアスな呪文
ひとつは、この校歌の、とりわけ冒頭の歌詞を気に入っていたことだ。スタンダードな七五調の歌詞の最初の一行はこうだ。
「ゆたけきさちのむさしのに」
「ゆたけきさち」は漢字で「豊かな幸せ」と書く。「豊けし」という形容詞の古語的な意味をくみとるならば、おおらかで豊かな自然の恵みに満ちた武蔵野の地、といったニュアンスになるだろう。
漢字を見れば意味は通じるが、音だけ聴くと子どもにとっては未知のサウンドだ。意味半分・音半分でとらえられるこの歌い出しは、僕にとって実に心地よいものだった。言わんとするところをぼんやりと感じつつ、日常のことばとは少し異なるミステリアスな呪文を唱えるような感覚。
当時は好き嫌いなど意識していなかったのだけれど、人は時を経て、おのれの嗜好のくせみたいなものを自覚していくものだ。もしもこれが「緑あふれる」とか「恵み豊かな」といった、ありふれたフレーズではじまっていたら、これほど深く僕の記憶に刻まれることはなかったと思う。
「唱歌校門を出でず」とは、明治・大正の学校唱歌が教室の中だけで完結し、子どもたちの心と実生活に根づかなかったことを皮肉った文句だが、少なくとも僕の場合、この校歌は門の外へ飛び出し、しかも数十年の風雪に耐えることができた。その大きな理由のひとつは「ゆたけきさち」ということばの響きにあった。
大脳皮質に刻みこむ
ふたつめの理由は、無意識のうちに、この歌をおぼえるトレーニングを積んでいたことだ。といっても、人一倍努力して日頃から何度も復唱したというわけではない。
近年、記憶力と運動の関係は脳科学的に実証されており、有酸素運動は記憶力の向上に寄与するといわれる。腹式呼吸で歌うことはまぎれもない有酸素運動であり、1曲歌えば軽いジョギング程度のカロリーを消費するそうだ。
モデラートのゆったりとしたテンポで、七五調の歌詞が五行でワンコーラス。それが三番までつづくこの校歌は、たいした肺活量のない小学生の僕にとって、最後まで歌い切るのが少々しんどい代物だった。

メロディー自体は素朴で歌いやすい。が、各コーラスの三行目からは最高音まで歌い上げるパターンが最後まで続く。それを三回くりかえすのだから、これはもはやインターバルトレーニングである。歌唱という有酸素運動によってBDNF(脳由来神経栄養因子)が増大していた僕は、その結果、大脳皮質にしっかりと校歌を刻みこむことに成功したのではないかと推察している。
学校を讃える締めくくりの一行を歌い終えて、ハァハァと息を切らしている姿は、はたから見れば愛校心あふれる無垢な少年に映ったかもしれない。実際は、過酷な肉体労働の直後、意識が朦朧としていただけなのだけれど。
本当にそうだろうか
と、ここにきて、ある疑念が浮かび上がった。
僕は冒頭で、愛校心など持ちあわせていないと言ったが、本当にそうだろうか。
故郷の自然と学校の理念を讃える校歌を、たとえ「意味半分・音半分」だとしても、それを好ましく受け入れ、卒業後40年以上経ってもおぼえている。どんなに否定しても、他人から見ればそれは立派な「愛校心の賜物」ではないか。
たしかなことは、理由はどうあれ、40年を経ても頭の中で歌が流れているという事実。それはまた、この歌が極めて上質な楽曲であることの証明にほかならない。
“民衆詩派”の代表的な詩人・白鳥省吾(しろとり・せいご 1890 – 1973)と昭和初期の日本クラシック界を牽引した信時潔(のぶとき・きよし 1887 – 1965)。
日野市立潤徳小学校の校歌を手がけた二人の巨匠に敬意を表しつつ、「愛校心」はさておき、僕が少なくとも強い「愛校歌心」の持ち主であることは認めざるをえないだろう。(終)
