歌声喫茶の愛唱歌
:109件1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月臨時増刊号で発表されました。 二番は2ヶ月ほど後に続編「雲の蔭」として発表された、いわば派生作品であり、歌詞の視点が変わり、旋律も若干異なっているところがポイントです。 昭和… 続きを読む →
1924年(大正13年)に雑誌『コドモノクニ5月号』で発表。 中山晋平の出身地である長野県中野市の中野市市民会館は、2022年に愛称を募集し、選考の結果、本楽曲「兎のダンス」にちなんだ「ソソラホール」という愛称が付けられ… 続きを読む →
昭和17年3月『初等科音楽(一)』に掲載された文部省唱歌です。 童謡の作曲家として中心的な役割を果たした中山晋平が、文部省唱歌の作曲者としてクレジットされているのは、ある意味で不思議なことです。なぜなら、そもそも「童謡」… 続きを読む →
大正11年6月、新潟の童謡音楽会に招かれた北原白秋は、小学生たちから地元・新潟にちなんだ歌を作ってほしいと言われました。白秋は約束通り詞を書き上げ、作曲を中山晋平に依頼、9月に雑誌『小学女生』で発表されました。 詩の舞台… 続きを読む →
東京23区の原形となる区が設置されたのは、明治11年(1878)のこと。現在の千代田区、中央区、港区、新宿区の一部、文京区、台東区、墨田区の一部、江東区の一部の範囲に15区が置かれたのがはじまりです。 明治22年(188… 続きを読む →
菊池寛原作の同名小説の映画化で、曲は《日本の映画主題歌の第一号》となりました。 《昔恋しい銀座の柳》で始まる歌詞の通り、かつての銀座通りにはヤナギの街路樹が植えられていました。 銀座通りの街路樹の歴史をみると、明治7年(… 続きを読む →
日露戦争(明治37〜38年)後、日本は南満洲鉄道を拠点に大陸への進出を図り、旧・満洲(中国東北部)には多くの日本人が入植しました。 「ペチカ」は、この地に暮らす学童たちの唱歌教材として、南満州教育会の依頼によって作られた… 続きを読む →
「冬の星座」の項でも触れているとおり、昭和22年(1947年)という年は教育基本法の交付、日本国憲法の施行にともない、音楽の教科書すなわち文部省唱歌もさまがわりしました。 昭和22年に『五年生の音楽』(文部省発行)に掲載… 続きを読む →
昭和22年3月に教育基本法が交付され、5月3日には日本国憲法が施行。これにともない、音楽の教科書も新しい方針で作り直されました。軍国主義的な内容は除かれ、また一部の文語調の歌詞はわかりやすさを重視して口語的な平易な表現に… 続きを読む →
倍賞千恵子さんは子供の頃に童謡歌手としてレコードデビューしていましたが、曲の権利上の問題から、そのレコードが発売中止になるという経験をしています。その件に関わっていたキングレコードのディレクター長田暁二氏は、発売中止その… 続きを読む →
作曲家の平尾昌晃さんが、歌手・梓みちよさんとジョイントでリサイタルをすることになった際に、幕間に軽く歌う1曲ということで作られたのが「二人でお酒を」でした。 平尾さんはスタンダードナンバー「二人でお茶を Tea for … 続きを読む →
昭和6年、新進気鋭の作曲家として注目され始めていた古賀政男さんの曲を、藤山一郎さんがマイクの特性を活かした甘く柔らかな声で歌い、空前の大ヒットとなりました。独特の哀調・哀しみと頽廃のムードをたたえた“古賀メロディー”の誕… 続きを読む →
「虹と雪のバラード」を作詞した詩人で整形外科医の河邨文一郎氏は、冬のオリンピックというものが、夏のオリンピックやその他の各種スポーツ大会と決定的に異なることとして、「競技の背景に常に雪と氷があること」を挙げています。 「… 続きを読む →
NHKのラジオ番組『婦人の時間』のための音楽として作られました。 『婦人の時間』は、戦後の民主社会において女性の地位を向上し、男女同権を真に実現するために、新憲法や婦人参政権についての啓蒙教育、家計と結びつけた経済知識、… 続きを読む →
1959年のミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のために作られた曲で、劇中ではオーストリアを象徴する花として、トラップ大佐がドイツに併合され消えゆく祖国を想いながら、この歌を歌いました。 エーデルワイス(和名:… 続きを読む →

