倍賞千恵子さんは子供の頃に童謡歌手としてレコードデビューしていましたが、曲の権利上の問題から、そのレコードが発売中止になるという経験をしています。その件に関わっていたキングレコードのディレクター長田暁二氏は、発売中止そのものは権利上やむを得ないこととはいえ、この一件は童謡歌手の少女の心を傷つけたかもしれないと気に病み、その歌手の「倍賞」という珍しい名前をずっと覚えていました。
昭和36年、SKD(松竹歌劇団)を経て松竹の女優となり映画デビューした倍賞千恵子さんの名前をみて、あの時の少女だと気づいた長田氏は、あらためて倍賞さんの歌声を聴きその魅力を確信し、映画女優・倍賞千恵子のレコードデビューに奔走します。その甲斐あってデビュー曲「下町の太陽」はレコード大賞新人賞を受賞する大ヒットに。
昭和40年発売の「さよならはダンスの後に」は倍賞さんの音楽面での師匠である小川寛興氏の作曲によります。小川寛興氏は服部良一門下の作曲家。帝国劇場のミュージカル作曲及び専任指揮者を経て、映画・テレビ・ラジオ音楽を中心に活躍しました。
「さよならはダンスの後に」は日本レコード大賞作曲賞を受賞。ヒットを受け映画も作られました。カラーテレビの家庭への普及を背景に不況に陥っていた昭和40年代前半の松竹映画を倍賞さんは支え続け、その後松竹は「男はつらいよ」の大ヒットで復興を遂げることとなります。
【参考文献】
西山正『倍賞家の人々:きょうだいの詩』(毎日新聞社)※1
『松竹八十年史』(松竹)※2
※1・2:国立国会図書館デジタルコレクション