懐かしい歌をギター生伴奏で

岡本敦郎さんは“ミスターラジオ歌謡”と呼ばれました。

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白い花の咲く頃

 
1950年(昭和25年)岡本敦郎
作詞:寺尾智沙
作曲:田村しげる

白い花が咲いてた
ふるさとの遠い夢の日
さよならと言ったら
だまってうつむいてた おさげ髪
悲しかった あの時の
あの白い花だよ

白い雲が浮いてた
ふるさとの高いあの峰
さよならと言ったら
こだまがさようならと 呼んでいた
さびしかった あの時の
あの白い雲だよ

白い月がないてた
ふるさとの丘の木立に
さよならと言ったら
涙の瞳でじっと 見つめてた
悲しかった あの時の
あの白い月だよ

 

NHKラジオ歌謡から生まれた昭和25年のヒット曲です。

作曲の田村しげる氏は昭和6年に作曲家デビュー、東海林太郎さんや松島詩子さんらに曲を提供しました。戦後は本曲や「たそがれの夢」(昭和23年 歌:伊藤久男)をはじめラジオ歌謡の名曲をいくつも手がけています。

作詞の寺尾智沙氏は田村氏の妻で、二人の共作ではほかに「リラの花咲く頃」「さざん花の歌」といった花をモチーフにした抒情歌が現在まで愛唱されています。

田村氏は京都・丹後半島の峰山町(現・京丹後市)の出身。故郷の思い出話を作詞家の妻・寺尾智沙さんによく聞かせていたそうで、そうした影響から、故郷への想いが込められた「白い花の咲く頃」の歌詞が生まれたのだといいます。

「白い花の咲く頃」では具体的な花の名前は登場しません。歌詞に登場する白い花、白い雲、白い月は、愛する人をおいて故郷を去ったときの哀しみの象徴として描かれています。

歌詞に重なるように、田村氏には故郷に1歳年下の初恋の人がいたそうですが、当時は互いに意識しながらも口を聞くこともなく田村氏は上京。その後、昭和2年の丹後大震災で帰郷した際に二人は再会し、初めて言葉を交わすのですが、それはこの地震で田村氏の妹が亡くなったことを、町に残っていた初恋のその人から知らされるというものでした。「白い花の咲く頃」にまつわる、あまりに哀しい後日談です。

流行歌になっている白い花は以下をはじめ数多くあります。
ニセアカシア:「アカシアの雨がやむとき」「恋の町札幌」「この道
クチナシ:「くちなしの花
コブシ:「北国の春
月下香:「夜来香
※イエライシャンは黄色い花ですが、この歌に歌われているのは白いチューベローズ(月下香)だといわれます。

【参考文献】
毎日新聞学芸部『歌謡・いま・昔』(音楽之友社)
喜早哲・著『日本の抒情歌』(誠文堂新光社)
※国立国会図書館デジタルコレクション


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2021/03/17(水)