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中山晋平
1887(明治20年)〜 1952(昭和27年)長野県下高井郡新野村(現・中野市)出身。
明治38年、文学と音楽の道を模索して上京、演出家/劇作家・島村抱月の書生となる。
東京音楽学校卒業後、島村抱月が主宰する芸術座公演の劇中歌として作曲した「カチューシャの唄」は大流行し、現在では《日本の流行歌第一号》と評されている。
また、野口雨情、北原白秋、西條八十らと組んで童謡、新民謡を数多く作曲。
「シャボン玉」「証城寺の狸囃子」「波浮の港」「東京音頭」「東京行進曲」ほか、現在まで愛唱される愛唱歌・流行歌を多数残している。
中山晋平
の楽曲ページ:11件明治20年(1887年)、長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれた作曲家・中山晋平は、父親が早くに亡くなり家計が苦しかったため、尋常小学校卒業後は進学を断念し、家の農事を手伝っていました。 一年程の後、向学心の高かっ… 続きを読む →
1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月臨時増刊号で発表されました。 二番は2ヶ月ほど後に続編「雲の蔭」として発表された、いわば派生作品であり、歌詞の視点が変わり、旋律も若干異なっているところがポイントです。 昭和… 続きを読む →
1924年(大正13年)に雑誌『コドモノクニ5月号』で発表。 中山晋平の出身地である長野県中野市の中野市市民会館は、2022年に愛称を募集し、選考の結果、本楽曲「兎のダンス」にちなんだ「ソソラホール」という愛称が付けられ… 続きを読む →
昭和17年3月『初等科音楽(一)』に掲載された文部省唱歌です。 童謡の作曲家として中心的な役割を果たした中山晋平が、文部省唱歌の作曲者としてクレジットされているのは、ある意味で不思議なことです。なぜなら、そもそも「童謡」… 続きを読む →
大正11年6月、新潟の童謡音楽会に招かれた北原白秋は、小学生たちから地元・新潟にちなんだ歌を作ってほしいと言われました。白秋は約束通り詞を書き上げ、作曲を中山晋平に依頼、9月に雑誌『小学女生』で発表されました。 詩の舞台… 続きを読む →
東京23区の原形となる区が設置されたのは、明治11年(1878)のこと。現在の千代田区、中央区、港区、新宿区の一部、文京区、台東区、墨田区の一部、江東区の一部の範囲に15区が置かれたのがはじまりです。 明治22年(188… 続きを読む →
菊池寛原作の同名小説の映画化で、曲は《日本の映画主題歌の第一号》となりました。 《昔恋しい銀座の柳》で始まる歌詞の通り、かつての銀座通りにはヤナギの街路樹が植えられていました。 銀座通りの街路樹の歴史をみると、明治7年(… 続きを読む →
雑誌『コドモノクニ』で発表されました。 北原白秋と中山晋平のコンビによる曲はほかに、童謡「砂山」や芸術座公演の劇中歌「さすらいの唄」などがあります。 【関連記事】映画『シンペイ〜歌こそすべて』鑑賞記〜作曲家・中山晋平の生… 続きを読む →
日本最初期の商業用レコードとして昭和3年に発売され大ヒットした曲です。日本人の心の琴線にふれる“わび・さび”にみちた旋律から、はなれ島の日暮れの情景がうかびあがってくるようです。 歌の舞台は伊豆大島の波浮港。当時は東京と… 続きを読む →
いのち短し、恋せよ乙女——「ゴンドラの唄」といえば、このうたいだしの名フレーズにつきます。 「ゴンドラ」とは水の都ヴェネツィアの水路をゆく手こぎボートのこと。はかないわかさとあつい恋心を、さきをも知れずにただよいながらす… 続きを読む →
大正3年(1914年)に発表された「カチューシャの唄」は、中山晋平の作曲家としての初作品にして代表作。そして「日本の流行歌第一号」ともいわれています。 ラジオもない、レコードもまだ十分に普及していない時代に1曲の歌が全国… 続きを読む →
