平城山(ならやま)とは、大和(奈良)の北のはずれ、山城(京都)との国界となっている佐保山と佐紀山を合わせた一帯の呼称です。標高は100〜120メートルほど、山というよりも丘陵・台地というのが適当であるような地域です。
平城の都が華やかだった時代は、宮廷に仕える高位高官がそぞろ歩く丘の道で、多くのロマンスの舞台でもあったようです。
平井康三郎
1910(明治43年)〜 2002(平成14年)
北見志保子
1885(明治18年)〜 1955(昭和30年)
昭和10年(1935年)、歌人・北見志保子氏が短歌雑誌『草の実』の創刊10周年を記念して、作曲家・平井康三郎氏に自身の短歌への作曲を依頼します。北見氏から渡された歌集から、平井氏が自由に選んで作曲したのが、「平城山」「九十九里浜」「甲斐の峡(さわ)」の三部作でした。
「平城山」もそうであるように、二首以上の短歌を組み合わせて1曲にする連作短歌形式は平井氏がこのときに打ち出したアイデアだったそうです。
万葉の世へと聴き手をいざなうような、箏の音色が想起される響きの中に、強い情愛と深い哀しみの歌が表現されています。
歌曲「平城山」の歌詞になっている短歌は、昭和9年に北見志保子氏が高知県の郷土文芸誌に『磐之媛皇后御陵』と題して発表した七首の短歌のうちの二首。
人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき
古(いにしえ)も妻にこひつつ越えしとふ平城山のみちに涙おとしぬ
これらの歌は、北見氏が磐之媛皇后御陵(ヒシアゲ古墳、第16代仁徳天皇皇后の磐之媛命の陵)をおとずれた際の感慨を歌ったとされます。北見氏自身の道ならぬ恋の情念を歌ったものという説もありますが、これについては北見氏が否定している発言もあり、あとはもはや受け手の想像力の範疇のお話となりましょう。
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