懐かしい歌をギター生伴奏で

ロシア舞曲を原曲とするフォークダンス曲から日本の歌謡曲となりました。

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山のロザリア

 
1956年(昭和31年)織井茂子
1961年(昭和36年)スリー・グレイセス
作詞:丘灯至夫
原曲:ロシア舞曲

山の娘ロザリア いつも一人歌うよ
青い牧場 日暮れて 星の出る頃
帰れ帰れ もう一度
忘れられぬ あの日よ
涙ながし 別れた 君の姿よ

黒い瞳ロザリア 今日も一人歌うよ
風にゆれる花のよう 笛をならして
帰れ帰れ もう一度
優しかった あの人
胸に抱くは形見の 銀のロケット

ひとり娘ロザリア 山の唄を歌うよ
唄は甘く かなしく 星もまたたく
帰れ帰れ もう一度
命かけた あの夢
うつりかわる世の中 花も散りゆく

帰れ帰れ もう一度
忘れられぬ あの日よ
涙ながし 別れた 君の姿よ
君の姿よ

 

「山のロザリア」と「牧場のロザリア」

昭和36年、スリー・グレイセスの歌でコロムビアより発表された「山のロザリア」は、元々この5年前の昭和31年に織井茂子さんの歌唱、丘灯至夫(当時の名義は丘十四夫)氏の作詞で「牧場のロザリア」(コロムビア)として発売されていた曲です。この曲が当時歌声喫茶でよく歌われていたことから、タイトルを変えて再発売したというわけです。

当時、この歌の歌声喫茶での人気を背景に、他のレコード会社も「牧場のロザリア」の存在を知らないまま、作詞者をよく調べずに、社内で歌詞を書き換えて急いでレコード化してしまったなんてこともあり、コロムビアとの間で著作権上のひと波乱があったようです。歌声喫茶の活況と、そこにヒット曲の源泉を求めるレコード会社という図式は、昭和30年代の流行歌のありようの一断面として興味深いものです。「北上夜曲」や「惜別の歌」が歌声喫茶での人気からヒットレコードとなり、その後、曲の作者が判明するという流れはこの時代の象徴的な出来事といえます。

蛇足ながら、このメロディーに丘灯至夫氏はもうひとつ別の作詞をしています。昭和36年、五月みどりさんの「恋よもういちど」です。「かえれかえれ」や「もういちど」という自身の作詞をベースに、こちらの曲では、より男女の恋愛模様を感じさせる歌詞となっているのが特徴です。

フォークダンス曲「アレクサンドロフスキー」

「牧場のロザリア」「山のロザリア」のメロディー自体は、すでに昭和20年代にフォークダンス曲「アレクサンドロフスキー Александровский」または「アレクサンドロフスカ Александровска」として、フォークダンスの解説書などで日本に紹介されています。

元々歌のないフォークダンス曲を「牧場のロザリア」として歌謡曲化することのきっかけとなったのは、昭和31年にウクライナ系アメリカ人のフォークダンス指導者マイケル・ハーマン(1911 – 1996)氏が来日し、日本に多くのフォークダンスとその音楽を紹介したことにあるとみてよいと思います。

マイケル・ハーマン氏は世界各地のフォークダンスを研究し普及活動を行った著名なダンス指導者です。「アレクサンドロフスキー」は「ロシアで皇帝のためにこの曲を演奏していたオーケストラのメンバーからこの踊りを学んだ」(ウェブサイト:Helen’s Yiddish Dance Page より)というハーマン氏のレパートリーのひとつで、1950年制作のマイケル・ハーマン・オーケストラによるフォークダンス曲のレコード『THE folk dancer / Michael Herman’s Folk Orchestra』におさめられている「アレクサンドロフスキー」と織井茂子さんの「牧場のロザリア」を聴き比べてみると、そのアレンジと雰囲気の共通性から、「牧場のロザリア」がマイケル・ハーマン版をベースにして作られていることがよくわかります。

このころの日本でのフォークダンス文化の普及にともない、学校の運動会のダンスなどにもとりいれられたため、世代によっては体育の授業でこの歌を知ったというかたもいらっしゃるようです。配信視聴者の方からも、スリー・グレイセスがうたった昭和36年よりも以前に、この歌を学校でダンスとともに教わったというおたよりをいただきました。

原曲の謎

玉置真吉氏・著『フォーク・ダンス』(昭和29年 音楽之友社)によれば「アレクサンドローフスカ」は元々ロシアの古い社交ダンスで、ロシアの君主アレキサンドル大王の名を称えるために名付けられたといいます。

また、海外のフォークダンス関連サイトには「アレクサンドル皇帝に敬意を表して名づけられたとおもわれ、1800年代末から1900年代初頭にかけて流行した」(ウェブサイト:Evansville International Folk Dancersより)という記述もあります。

現在伝わるメロディーは、フォークダンス曲として伝わる経緯でよりシンプルになっていったものである可能性が高いと思われますが、元々の「古い社交ダンス」で演奏された曲はどのようなものだったのか、ロシアのどの地域に起源があるのか等については、残念ながら情報がありません。

ロシアの音楽家コンスタンチン・ポランスキー(1901-1973)のバラライカ楽団(Kostya Poliansky And His Balalaika Orchestra)による「アレクサンドロフスキー・ワルツ」という曲では、我々の知る「アレクサンドロフスキー(山のロザリア)」のメロディーがより豊かに展開されるような哀愁溢れるアンサンブルを聴くことができますが、この曲の詳細について筆者はまだ確実な情報を持っておらず、これが「アレクサンドロフスキー(山のロザリア)」の原典と関連するかどうかについても、現時点では残念ながら結論にたどりつけておりません。(文・西川恭)

【参考文献】
Alexandrovsky / Michael Herman’s Folk Orchestra (MH-1057 The Folk Dancer Record Service)
鈴木慎一朗・著『フォークダンスの日本への普及と日本の民踊 -中山義夫と鳥取県の民謡–』(地域学論集 : 鳥取大学地域学部紀要)
三世社・編『読切倶楽部』昭和35年9月号「歌謡界うら話/松坂直美」(三世社)※
玉置真吉・著『フォーク・ダンス』(昭和29年 音楽之友社)※
中山義夫・著『世界の踊り:フォーク・ダンスの指導者のハンド・ブック』(昭和28年 文化芸術学院)※
日本フォークダンス連盟・編『学校のフォークダンス:文部省学習指導要領準拠』(世界書院)※
※国立国会図書館デジタルコレクション


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2022/03/02(水)