懐かしい歌をギター生伴奏で

ロシア舞曲を原曲とするフォークダンス曲から日本の歌謡曲となりました。

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山のロザリア

 
1956年(昭和31年)織井茂子
1961年(昭和36年)スリー・グレイセス
日本語詞:丘灯至夫
原曲:ロシア舞曲

山の娘ロザリア いつも一人歌うよ
青い牧場 日暮れて 星の出る頃
帰れ帰れ もう一度
忘れられぬ あの日よ
涙ながし 別れた 君の姿よ

黒い瞳ロザリア 今日も一人歌うよ
風にゆれる花のよう 笛をならして
帰れ帰れ もう一度
優しかった あの人
胸に抱くは形見の 銀のロケット

ひとり娘ロザリア 山の唄を歌うよ
唄は甘く かなしく 星もまたたく
帰れ帰れ もう一度
命かけた あの夢
うつりかわる世の中 花も散りゆく

帰れ帰れ もう一度
忘れられぬ あの日よ
涙ながし 別れた 君の姿よ
君の姿よ

 

もともとは昭和31年に織井茂子さんの歌唱で「牧場のロザリア」として発売。じきに歌声喫茶で愛唱されるようになり、昭和36年スリー・グレイセスの歌で「山のロザリア」と改題して発表されヒットしました。現在も歌声喫茶の人気曲として愛唱されています。

原曲が日本に入ったきっかけは昭和31年、ウクライナ系アメリカ人のフォークダンス指導者マイケル・ハーマン(1911 – 1996)氏が来日し、日本に多くのフォークダンスとその音楽を紹介したことにあるようです。

世界各地のフォークダンスを研究し普及活動をおこなうマイケル・ハーマン氏がレパートリーのひとつとしていた「アレクサンドロフスキー Александровский」というロシアの舞曲があります(国や地域などにより「アレクサンドロフスカ Александровска」と女性名詞の形でよばれることもあるようです)。舞踏用の器楽曲なのでもともとのこの曲には歌詞はありません。それに日本語歌詞が付けられ日本の歌謡曲となったのが織井茂子さんの「牧場のロザリア」というわけです。

1950年制作のマイケル・ハーマン・オーケストラによるフォークダンス曲のレコードにおさめられている「アレクサンドロフスキー」と織井茂子さんの「牧場のロザリア」を両方聴いてみると、「牧場のロザリア」がマイケル・ハーマン版の編曲を忠実になぞって作られていることがよくわかります。

このころの日本でのフォークダンス文化の普及にともない、学校の運動会のダンスなどにもとりいれられたため、世代によっては体育の授業でこの歌を知ったというかたもいらっしゃるようです。配信視聴者のかたからも、スリー・グレイセスがうたった昭和36年よりも以前に、学校でダンスとともに教わったというおたよりをいただきました。

ちなみに原曲であるこの「アレクサンドロフスキー」、マイケル・ハーマン氏は「ロシアで皇帝のためにこの曲を演奏していたオーケストラのメンバーからこの踊りを学んだ」(ウェブサイト:Helen’s Yiddish Dance Page より)とあり、また別のサイトには「アレクサンドル皇帝に敬意を表して名づけられたとおもわれ、1800年代末から1900年代初頭にかけて流行した」(ウェブサイト:Evansville International Folk Dancersより)という記述がありますが、さらにくわしい曲の起源や原典までには残念ながらたどりつけませんでした。


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2022/03/02(水)