懐かしい歌をギター生伴奏で

抒情溢れる作曲家・八洲秀章氏と水郷詩人・関沢潤一郎氏による名曲

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高原の旅愁

 
1940年(昭和15年)伊藤久男
作詞:関沢潤一郎
作曲:鈴木義章(八洲秀章)

むかしの夢の 懐かしく
たずね来たりし 信濃路の
山よ小川よ また森よ
姿むかしの ままなれど
なぜにかの君 影もなし

乙女の胸に 忍びよる
啼いて淋しき 閑古鳥
君の声かと 立ち寄れば
消えて冷たく 岩蔭に
清水ほろほろ 湧くばかり

過ぎにし夢と 思いつつ
山路くだれば さやさやと
峠吹き来る 山の風
胸に優しく 懐かしく
明日の希望を ささやくよ

 

作曲した八洲秀章氏は「さくら貝の歌」「あざみの歌」「山のけむり」などの美しい名曲抒情歌の作者として知られます。

その八洲氏の初期作品と言えるこの曲は、一聴すると戦前流行歌風のアップテンポの曲調ですが、流れる旋律はたしかに八洲抒情歌のそれです。この曲をたとえば8分の6拍子のゆったりとした編曲でイメージしてみると、そこには「あざみの歌」の原型とも感じられる哀愁ただよう一曲が浮かび上がります。

作曲家・八洲秀章

昭和12年に東海林太郎さんが歌った「漂泊(さすらい)の歌」で作曲家デビューを果たした八洲秀章氏は、これから作曲家として本格的に仕事をしていこうという矢先、肺を患い、故郷・北海道の真狩村に戻って静養することを余儀なくされます。

1年半ほどの療養を経て再度上京し、その頃に作られた曲のひとつが「さくら貝の歌」。亡くなった初恋の幼なじみを思って作られたことがよく知られています。

また、この頃に知り合った作詞家・関沢潤一郎氏の「高原の旅愁」の原稿を見た八洲氏は、そこに描かれる情景に、愛する人なき故郷・真狩岳こと羊蹄山の侘しい明け暮れを重ね、亡き人への思いをその調べに託したといいます。

「高原の旅愁」は当時としては異例の三十万枚を超えるヒット(A面は「湖畔の宿」)となり、この曲をきっかけに八洲秀章氏は、レコード会社の専属作曲家の地位を得て、人気作曲家としてのキャリアをスタートさせたのです。

作詞家・関沢潤一郎

歌詞は作詞者の関沢潤一郎氏が、信濃路を旅した折、上高地で見かけた女性の悲しげな横顔から浮かんだものだといいます。

関沢潤一郎氏は現在の茨城県潮来市出身の詩人。潮来の豊かな水と自然への深い想いから言葉を紡ぐ、郷土に根ざした水郷詩人は、昭和7年に処女詩集『潮来』、昭和10年に『潮来出島』を発表。その頃から“第二の雨情”として注目された存在でした。

戦後は民謡・歌謡の詩作のほか、釣りに関する執筆でも活躍。釣りの世界ではフナ釣りの権威で、そちらでは「流行歌の作詞していた」という見方になるようです。

関沢潤一郎氏については流行歌史的な情報が少ない中、下記の茨城女子短期大学の学長(当時)小野孝尚氏の『水郷詩人・関澤潤一郎論』がたいへん興味深く、参考になりました。

【参考文献】
下山光雄・著『さくら貝の歌 八洲秀章の生涯』(真狩村)
北海道社会教育協会・編『北国に光を掲げた人々 第2集』(北海道科学文化協会) ※
森本敏克『音盤歌謡史』(白川書院) ※
茨城女子短期大学紀要 大成学園創立100周年記念号 第37集(2010年)
『水郷詩人・関澤潤一郎論』小野孝尚
※国立国会図書館デジタルコレクション

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投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2022/11/23(水)