歌声喫茶の愛唱歌
:102件作曲者の末広恭雄氏(1922〜1988)は東京大学農学部水産学科教授の水産学者で、作曲家としては山田耕筰に師事したというユニークな経歴の持ち主。 末広氏の中学時代の音楽の先生は、言文一致唱歌を提唱し多くの唱歌を作曲・編纂… 続きを読む →
“昭和モダン”と呼ばれる西洋文化を折衷した新しいライフスタイルが社会に生まれた時代。服部メロディーの黄金期の作品のひとつです。 昭和10年頃にはすでにコーヒーは庶民にも浸透し、東京市内にも相当数の喫茶店があったといいます… 続きを読む →
「山のロザリア」と「牧場のロザリア」 昭和36年、スリー・グレイセスの歌でコロムビアより発表された「山のロザリア」は、元々この5年前の昭和31年に織井茂子さんの歌唱、丘灯至夫(当時の名義は丘十四夫)氏の作詞で「牧場のロザ… 続きを読む →
詩は三木露風の子供のころへの郷愁から生まれたものといわれます。1921年(大正10年)に発表され、のちに山田耕筰が曲をつけました。 三木露風は昭和3年から昭和39年に亡くなるまでの36年間、東京都三鷹市に暮らしていました… 続きを読む →
昭和24年(1949年)にスタートしたNHKのラジオバラエティーショー『陽気な喫茶店』の番組テーマ的な位置付けで、歌詞の通り、人々の心に「陽気な唄」を届けました。歌ったのは荒井恵子さん。NHKのど自慢の第一回全国大会で「… 続きを読む →
明治40年に『中等教育唱歌集』に掲載されたいわゆる翻訳唱歌です。原曲はアメリカの医師/作曲家ジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)が1868年に発表した歌曲「Dreaming of Home and M… 続きを読む →
『この世の花』は雑誌「明星」に連載された北條誠氏の小説。ほぼ同時にラジオドラマとなり、その後松竹による映画化は9シリーズ続くブームとなりました。 北条誠氏は、この作品の大ヒットにより自分は「メロドラマ作家」のレッテルを貼… 続きを読む →
石原裕次郎さんは昭和62年7月17日に他界、8月10日に追悼盤としてこの曲が発売されました。録音は生前最後のシングルとなった「わが人生に悔いなし」とともに、ハワイ療養中にオアフ島のスタジオで行われていました。 作詞の山口… 続きを読む →
明治45年に竹久夢二が少女雑誌に詩を発表し、その5年後、作曲家でヴァイオリニストの多忠亮(おおの・ただすけ)が曲を付け、第2回「芸術座音楽会」で初演されました。 翌大正7年に夢二の表紙画で楽譜が出版されると、今で言う“大… 続きを読む →
近年の歌集には副題として「敦盛と忠度」としるされていることがありますが、じつはそもそもはこちらのほうが正式な題名だったということです。 この歌は明治39年、作曲家・田村虎蔵が中心になって編纂した『尋常小学唱歌 第四学年 … 続きを読む →
歌のモチーフは明治28年(1895)に発表された樋口一葉の名作短編小説と評される『十三夜』。 物語は主人公・お関が嫁ぎ先の家を飛び出し、両親の住む実家に戻って来たところから始まります。お関は自分に対する夫の冷酷な態度と、… 続きを読む →
むせぶようなギターフレーズが泣かせる“古賀メロディー”の代表的な一曲。 この歌がヒットした頃に、まさに「伊豆の山々」に暮らしていたという配信視聴者のかたからいただいたコメントを以下に紹介させていただきます。 昭和25年頃… 続きを読む →
作曲家の船村徹さんは昭和30年の「別れの一本杉」(キングレコード)の大ヒット後、コロムビアレコードに移籍。昭和31年、盟友・高野公男さん作詞の「早く帰ってコ」を青木光一さんに提供、これがコロムビアでの船村徹デビュー作品で… 続きを読む →
「荒城の月」「箱根八里」と並び、瀧廉太郎の作品の中でも広く親しまれている歌曲です。東京都墨田区では「区民の愛唱歌」に指定されています。 描かれているのは隅田川での漕艇(レガッタ=ボートレース)の様子。 日本のボート史は1… 続きを読む →
NHKラジオ歌謡から生まれた昭和25年のヒット曲です。 作曲の田村しげる氏は昭和6年に作曲家デビュー、東海林太郎さんや松島詩子さんらに曲を提供しました。戦後は本曲や「たそがれの夢」(昭和23年 歌:伊藤久男)をはじめラジ… 続きを読む →

