懐かしい歌をギター生伴奏で

波浮港は伊豆大島の南端に位置する港。この歌がつくられた当時、漁港町としてたいへん繁栄していたそうです。

波浮の港

 
1924年(大正13年)
作詞:野口雨情
作曲:中山晋平

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕やけ小やけ
明日の日和は
ヤレホンニサ なぎるやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆のいとこは 郵便だより
下田港は
ヤレホンニサ 風だより

風は汐風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船のときにゃ
船のとも綱
ヤレホンニサ 泣いて解く

磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
泣いて送らにゃ 出船もにぶる
明日も日和で
ヤレホンニサ なぎるやら

 

日本最初期の商業用レコードとして昭和2年に発売され大ヒットした曲です。日本人の心の琴線にふれる“わび・さび”にみちた旋律から、はなれ島の日暮れの情景がうかびあがってくるようです。

歌の舞台は伊豆大島の波浮港。当時は東京との船便もないさびしい漁村。野口雨情は現地をおとずれることなく、自身の故郷の風景からイメージをひろげて詩を書いたといいます。そのため実際の波浮港ではみられない夕日や海鵜が詩に登場する、というのはこの歌にまつわる有名なエピソードです。

中山晋平は大正から昭和のはじめにかけて、その時代におけるあたらしいありかたでもって、作曲家として大衆音楽を牽引しました。

まずは大正3年、芸術座公演の劇中歌「カチューシャの唄」で“日本の流行歌第一号”をうみだしたことから作曲家としてのキャリアをスタートします。そして児童雑誌『金の船』『コドモノクニ』誌上で野口雨情とのコンビで「雨降りお月さん」「あの町この町」などの童謡を多数発表。また当時さかんだった新民謡の作曲にも力をそそいでいます。

そのころ、あたらしい録音技術が伝来し、日本国内でのレコード製造がはじまります。これにより一般の人々にとってレコードが以前よりも身近なものとなり、レコードで音楽をたのしむ文化がひろがりはじめます。

昭和2年(1928年)にレコード発売された「波浮の港」は、日本における最初期の商業用レコードのひとつであり、そのなかでもレコードによってひろがった最初のヒット曲といえるものでした。

音楽文化のあたらしい形態がうまれたとき、そこにはいつも中山晋平の曲があった。そんな印象すらかんじられます。

◎この曲のチコ編曲によるギター独奏用楽譜は以下の店舗またはオンライン楽譜販売サイトで購入できます。

プリント版:G&Mギターショップ
ダウンロード版:mucome ミューカム


投稿者:チャコ&チコの歌声喫茶
記事公開日:2018/09/19(水)