昭和17年3月『初等科音楽(一)』に掲載された文部省唱歌です。
童謡の作曲家として中心的な役割を果たした中山晋平が、文部省唱歌の作曲者としてクレジットされているのは、ある意味で不思議なことです。なぜなら、そもそも「童謡」は、学校教育のための唱歌に批判的な姿勢から生まれた芸術運動だったからです。
昭和17年、戦時体制下ですべての音楽家が不自由な活動を余儀なくされる中、もはや純粋に文化的な対立軸など意味をもたなくなった時代のありようが見てとれます。
とはいえ、唱歌「田植」の晴れやかなメロディーは、まさしく“晋平節”と呼べるものです。
戦後、細々と作曲を続けながらも、いわゆるヒット曲を手がけることはなかった中山晋平の、結果として現在まで歌い継がれる最後の1曲となったのがこの歌です。

