石原裕次郎さんは昭和62年7月17日に他界、8月10日に追悼盤としてこの曲が発売されました。録音は生前最後のシングルとなった「わが人生に悔いなし」とともに、ハワイ療養中にオアフ島のスタジオで行われていました。
作詞の山口洋子さんは、昭和32年に東映ニューフェイス第4期に選ばれますが2年ほどで引退し、その後銀座でクラブを経営。昭和42年頃から作詞活動を開始し、「噂の女」「よこはま・たそがれ」など多くのヒット作を送り出しました。裕次郎さん昭和52年の「ブランデーグラス」でも作詞を手がけています。
山口さんは作詞家として多忙を極めていたあるとき、作曲家の猪俣公章氏とレコーディングディレクター氏の三人で北海道・釧路へ逃避行したことを、昭和51年の雑誌のエッセイで語っています。山口さんにとって釧路は演歌の似合う街。雨の釧路の短い旅の思い出は、10年後の「北の旅人」のモチーフのひとつとなったのかもしれません。
【参考文献】
山口洋子・著「釧路 わたしの演歌街」『ふるさとへの旅:日本の四季 第8巻』(国際情報社)
朝日新聞社・編『石原裕次郎』(朝日新聞社)
※国立国会図書館デジタルコレクション

