日露戦争(明治37〜38年)後、日本は南満洲鉄道を拠点に大陸への進出を図り、旧・満洲(中国東北部)には多くの日本人が入植しました。
「ペチカ」は、この地に暮らす学童たちの唱歌教材として、南満州教育会の依頼によって作られた童謡のひとつです。大正13年(1924年)『満州唱歌集』で発表されました(この唱歌集には「待ちぼうけ」も収められています)。
現地の小学校では基本的には日本内地と同じ教科書が使用されましたが、特に国語・理科・唱歌については「満州補充読本」なるものが編纂されました。国語副読本には、現地の伝説・民話などが多くとりあげられ、理科用には現地で見られる動物・植物・鉱物が記述されたそうです。唱歌教材『満州唱歌集』もこのようなコンセプトで、現地の気候風土を感じながら、郷土愛を育むことができるような歌が収められたわけです。
ペチカとは、暖炉とオーブンを兼ねたロシア式の暖房設備でロシア語では「ピェーチカ」(печка)と発音します。これは暖炉を意味する「ピェーチ」(печь)という語の愛称的指小辞(diminutive ディミニクティブ)で、極寒のこの地域において、ペチカというものが、いかに生活と切り離すことのできない身近で親しみ深いものであるかが現れているようです。

▲ 北原白秋『満洲地図』(昭和17年刊)に収められた際の富樫寅平による「ペチカ」挿絵
白秋は昭和5年に南満洲鉄道からの招きを受けて満洲を旅行し、帰国後に満洲の風物や地名をテーマにした詩や短歌を書いています。「ペチカ」の作詞時点では現地を訪れてはいないのですが、歌のモチーフであるペチカや、歌詞に登場する焼き栗売りなどは、寒さ厳しい満洲の暮らしを伝え聞いてイメージしたものにちがいなく、それは一方で、後の時代にこの歌にふれる私たちにとっては、童謡特有のファンタジー性として、詩的情緒を刺激するものでもあります。
【参考文献】
鈴木正次・著『実録・大連回想』(河出書房新社)
『満州の記録 : 満映フィルムに映された満州』(集英社)
※国立国会図書館デジタルコレクション

