大正
》:16件明治20年(1887年)、長野県下高井郡新野村(現・中野市)に生まれた作曲家・中山晋平は、父親が早くに亡くなり家計が苦しかったため、尋常小学校卒業後は進学を断念し、家の農事を手伝っていました。 一年程の後、向学心の高かっ… 続きを読む →
1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月臨時増刊号で発表されました。 二番は2ヶ月ほど後に続編「雲の蔭」として発表された、いわば派生作品であり、歌詞の視点が変わり、旋律も若干異なっているところがポイントです。 昭和… 続きを読む →
1924年(大正13年)に雑誌『コドモノクニ5月号』で発表。 中山晋平の出身地である長野県中野市の中野市市民会館は、2022年に愛称を募集し、選考の結果、本楽曲「兎のダンス」にちなんだ「ソソラホール」という愛称が付けられ… 続きを読む →
大正11年6月、新潟の童謡音楽会に招かれた北原白秋は、小学生たちから地元・新潟にちなんだ歌を作ってほしいと言われました。白秋は約束通り詞を書き上げ、作曲を中山晋平に依頼、9月に雑誌『小学女生』で発表されました。 詩の舞台… 続きを読む →
日露戦争(明治37〜38年)後、日本は南満洲鉄道を拠点に大陸への進出を図り、旧・満洲(中国東北部)には多くの日本人が入植しました。 「ペチカ」は、この地に暮らす学童たちの唱歌教材として、南満州教育会の依頼によって作られた… 続きを読む →
原曲はオーストリアの作曲家フランツ・フォン・スッペによるオペレッタ『ボッカチオ』で歌われるアリア「Hab ich nur deine Liebe」です。劇中では、詩人ボッカチオとヒロインのフィアメッタが出会う場面で歌われ… 続きを読む →
大正元年の『尋常小学唱歌(四)』で発表された上記の歌詞がオリジナル。 その後、昭和17年『初等科音楽(一)』収録の際に、文部省の命を受けた林柳波氏により歌詞の一部が改変されます。国民学校初等科三年で使用するために《さらさ… 続きを読む →
文学者・教育者である吉丸一昌氏は、文部省編纂の『尋常小学唱歌』の歌詞編纂に大きく関わった人物で、そうするとお堅い唱歌を作った学者風の人物をイメージするかもしれませんが、実際にはむしろその逆で、後の時代に大きく花開く“童謡… 続きを読む →
晩秋から冬のはじまりへと、静かに、しかし確実に季節がうつりゆくさまが描かれている唱歌です。 一番の朝のみなとの情景は、霧がかる秋から、冷え込みが強まり霜の降りる季節へ。二番はのどかな小春日和、晩秋の畑での麦踏み。三番では… 続きを読む →
詩人・鹿島鳴秋氏は、同じく童謡詩人の清水かつら氏(叱られて、靴がなる、みどりのそよ風)とともに雑誌『少女号』の編集に携わり、童謡「浜千鳥」は大正8年にこの雑誌で発表されました。 冬の浜辺で親を探し求めて鳴く千鳥の姿を歌っ… 続きを読む →
雑誌『コドモノクニ』で発表されました。 北原白秋と中山晋平のコンビによる曲はほかに、童謡「砂山」や芸術座公演の劇中歌「さすらいの唄」などがあります。 【関連記事】映画『シンペイ〜歌こそすべて』鑑賞記〜作曲家・中山晋平の生… 続きを読む →
詩は三木露風の子供のころへの郷愁から生まれたものといわれます。1921年(大正10年)に発表され、のちに山田耕筰が曲をつけました。 三木露風は昭和3年から昭和39年に亡くなるまでの36年間、東京都三鷹市に暮らしていました… 続きを読む →
明治45年に竹久夢二が少女雑誌に詩を発表し、その5年後、作曲家でヴァイオリニストの多忠亮(おおの・ただすけ)が曲を付け、第2回「芸術座音楽会」で初演されました。 翌大正7年に夢二の表紙画で楽譜が出版されると、今で言う“大… 続きを読む →
日本最初期の商業用レコードとして昭和3年に発売され大ヒットした曲です。日本人の心の琴線にふれる“わび・さび”にみちた旋律から、はなれ島の日暮れの情景がうかびあがってくるようです。 歌の舞台は伊豆大島の波浮港。当時は東京と… 続きを読む →
いのち短し、恋せよ乙女——「ゴンドラの唄」といえば、このうたいだしの名フレーズにつきます。 「ゴンドラ」とは水の都ヴェネツィアの水路をゆく手こぎボートのこと。はかないわかさとあつい恋心を、さきをも知れずにただよいながらす… 続きを読む →
